「私は日本のエースになりたい」有言実行の平野美宇

全日本卓球2017(2016年度)が終わった。

たったの一大会、たったの一試合でエースが入れ替わるなんてことがあるのだろうか。
私はあの決勝に限ってしまえば「ある」と言いたい。

5年近く日本女子エースとして君臨してきた石川佳純は今年24歳。
卓球選手としてはまだまだ何年も全盛期を維持できる年齢で、これからも石川時代は続くものと思っていた。

女子シングルス決勝は、攻撃的選手同士の凄まじい試合だった。
そして4-2というゲームスコア以上に平野美宇の強さが際立っていた。

ほんの一年ちょっと前まで絶対的女王石川をエースの座から引きずり下ろすとすればその一番手は平野の同級生の伊藤美誠だろうと誰もが思っていた。

平野美宇は幼少時より注目されていたが2015年を境に伊藤に完全に水をあけられ、リオオリンピックの代表の座も持って行かれてしまった。
伸び悩みという眼差しを持って平野を見ていた人は多かっただろう。

たったの一年で人はここまで変わる。

負けてもいいから攻める 石川佳純の原点

すごくいい記事なのでちょっと長めに引用させてもらいたい。
幼少時の石川親子の苦悩が垣間見れるとてもいい記事なのでぜひリンク先で全文も読んで欲しい。

石川佳純 異端の戦型の原点…貫いた超攻撃型「絶対に間違いじゃない」― スポニチ Sponichi Annex スポーツ

後に日本のエースになるサウスポーは、世間に定着する天才少女のイメージを否定した。

 「小学校の時はずっと勝てなかったという思いしかないです。毎年悔しい思いばかりでした」

 勝てなかった理由の一つが戦術にあったのかもしれない。卓球選手だった母は娘に攻撃卓球を教え込んだ。フォアハンドの強打、フォアドライブに徹底的にこだわった。結果が出ないことは、ある程度承知の上だった。

 「世界で勝つには攻撃しかないと考えていました。でも、筋力がない子供の頃は、(縦回転の)フォアドライブは取りやすいボールなんです。非力ゆえ、そこまで強い回転をかけられないので、簡単に返される。でも、気にせずに攻めることを徹底させました」

 理想は高い。だが、5年の時点では技術が追いつかず、天野に勝てなかった。前陣速攻の攻撃型だった天野は「一番やりたくない相手。うまい選手は他にもいましたが、気持ちは石川さんが一番強かった」という苦手意識を持っていたが、石川はミスもあって攻めきることはできなかった。

 この敗戦をベンチで見守っていた母は、悔しさをかみしめながらある思いを強くした。今に続くドライブ攻撃型の戦型で日本一を必ず獲ると、心に決めたのだ。「フォアドライブを軸とした攻撃は絶対に間違いじゃない。このままやっていけば大丈夫だから、と佳純に言い聞かせました」

 負けて2人に火が付いた。この後、「365日休みなしの練習をしました」と母は振り返る。それが実り、6年生になった翌年の同じ大会で初優勝。以後、国内タイトルをほしいままに手にし、世界へと羽ばたいた。

 負けては泣いていた小学校の自分を、石川はいとしそうに振り返った。

 「負けていいから攻めろと、母から言われていたのを覚えています。女子はナインオール(9―9)だと、突っつき(ちょんと返す)で守るのが主流でした。相手ミスを待ったほうが得点になる確率が高いからです。ナインオールでフォアドライブにこだわる私は、異端児だったと思います」


カットマンもいれば粒高もいる。バック表どころかフォア表もいる。裏裏でもさほど攻めずに相手のミスを待つ選手もいる。
卓球は多様性のスポーツで、それ自体は素晴らしいことだ。

体育館や卓球場に行ってみんながみんなドライブマンだとつまらない。
カットマンがいれば真っ先に声をかけて打たせてもらうし、フォア表の男子大学生がいれば話に花が咲く。
一歩も動かずに相手をきりきり舞いにさせるショートマンのおじいちゃんもいる。

繰り返すが、卓球は多様性のスポーツで、それ自体は素晴らしいことだ。


しかし、やっぱり卓球の王道は攻撃的なドライブマンだ。
それに異論を挟む人はいないだろう。

その中でも日本人女子として石川佳純の攻撃意識はずば抜けていた。
ラリーでは攻めて攻めまくる。
レシーブも守りに入らない。
女子選手ではかなり早くからチキータなどを取り入れていた。
新しい攻撃的技術をすぐに取り入れる姿勢は女子では際立っていた。
あの練習の鬼平野早矢香ですら舌を巻いていたインタビューを覚えている。
石川が中学生の頃の話である。

大手のマスコミはダブルエースとして石川・愛ちゃんを並び立てる報道も多かったけれど、少なくともロンドン以降の日本女子のエースは圧倒的に石川だった。大黒柱そのものだった。

やはり、エースは攻撃的なドライブマンであって欲しい。
ある「べきだ」なんて言わない。
これは個人的な思い、願望、希望だから。
石川が日本女子のエースで本当によかったと思う。
前述したお母さんの育て方が実を結んでよかったと心から思う。

小さい子がすぐに結果を出すなら安易な方法がいくらでもある。
中学から卓球を初めて運動神経が無い子はすぐにショートマンにさせられる。
部活内チーム事情もあるのかもしれないが、中学レベルだと粒は驚異的に効く。
すぐに結果が出るから、すぐに手を出してしまう。

それってどうなんだろうという思いが自分にはある。
卓球は決して中学3年だけの暇つぶしじゃなくて一生続けられる生涯スポーツである。
短絡的な動機で安易に戦型・用具を子供に押し付ける大人の姿勢には疑問を覚える。

幼少時は負けてもいいからフォアドライブ主戦の攻撃卓球を貫いて、そして花を咲かせた石川親子には大喝采を贈りたい。


そして、昨日の決勝。
攻撃的卓球で道を切り開いてきた女王石川の前に立つ平野美宇
彼女もリスクを背負って、思い切って攻撃的な卓球スタイルに変貌を遂げ花を咲かせた16歳だ。

伸び悩み、コーチ変更、そして攻撃的スタイルへ

2014年時点で日本のトップ3は石川、福原愛、そして平野早矢香
ロンドンで歴史的なメダルを獲得したこの3人がリオでもそのままメンバーになりそうな空気がその当時はあった。
平野美宇も順調に世界ランクも上げていはいたが、リオに出るのはまず無理だろうという気持ちが本人にはあったという。

しかし思わぬ伏兵が、それも一番身近なところから現れる。
伊藤美誠だ。

同い歳の伊藤美誠は2015年に入って驚異的な成績を残し、あっという間に世界ランクを上げていく。
もはや伊藤は代表入りするかどうかではなくてシングルス2枠を巡って石川・愛ちゃんと競うぐらいの選手になってしまった。

平野は当時「リオへのチャレンジはしてみよう、だめでも2020東京がある」という心構えだったとインタビューで述べていた。
明確にリオをその視野に入れていた伊藤とその点がまず決定的に違った。

そして卓球スタイルである。
当時の平野は繋ぐ意識があまりにも強すぎた。
同レベルや下には勝てても、上には全く通用しないスタイルの典型だ。

コーチの変更

2015年9月にリオの代表メンバーが決まり、平野は漏れた。
そしてその一ヶ月後にコーチが変わる。中澤コーチだ。

奇しくも石川佳純も育てたこのコーチへの変更は、協会やエリアカも平野の伸び悩みを目の当たりにし壁を壊して欲しいという思いがあったのではないか。
しばらくは従来のスタイルで練習を続けていたが、中澤コーチはこのままではいけないと極端なスタイル変更を平野に要求するようになる。

コーチが変わって二ヶ月後の世界選手権選考会で平野の卓球はぐちゃぐちゃだった。
何がしたいのかよくわからないプレーが多すぎた。
平野自身は肉体的な迷い以上に精神的な迷いがあったのだろう。

「本当にこれでいいの?」「今までの方がいいんじゃないの?」
そういう葛藤が間違いなくあっただろう。

リスクを背負ってスタイルを変えた結果、悪い方向にいこうとしているのではないか。
疑心暗鬼に陥っていた時期かもしれない。

2016年の大躍進

ようやく時計の針がちょうど一年前、つまり2016年1月の全日本選手権に達した。

平野はジュニアでは不覚をとるも一般の部では勝ち進み、準決勝では同級生の伊藤美誠とのみうみま対決を実現させ、伊藤を全く寄せ付けない圧倒的な勝利を飾る。「攻撃的なスタイルが中国選手とやっているようだった。今までとは別人だった。」と敗戦後に伊藤に言わせるほど。

決勝ではカメラフラッシュにナーバスになるなど力を発揮できたとは言い難いアンラッキーもあったが、石川の前に完敗。
技術・パワー・メンタル。力の差は歴然だった。

しかし伊藤を下し、最年少で決勝に残った平野はここで攻撃的なスタイル変更の成功に確信を持っただろう。
去年の大会こそが20年後ぐらいに平野が引退した後に原点だったと語るような大会になるかもしれない。

ワールドツアーで初優勝し、ワールドカップでは中国人選手が出ていないとはいえ伊藤などを直接下し初優勝。
中国のトップリーグにも参戦した。
世界ジュニアではぴりっとしなかったが、愛ちゃんがいなくなった女子卓球界において石川、伊藤、そして平野というトップ3が完全に確立されたと言っていい。

大躍進を遂げた2016年だった。

「私は日本のエースになりたい」

去年11月に行われた卓球王国のインタビューで平野はこう語った。
2017年2月号の表紙にもその言葉が採用された。

世間的にエースの座はまだまだ石川だろう。
世界ジュニアでの盤石っぷりを見ると伊藤は平野よりも安定感があるようには見える。
序列的にはまだ石川、伊藤、平野の順番かもしれない。

しかし、昨日の決勝。

あのゲームを見せつけられると女王交代、エース君臨と言わざるをえない。
あの石川が、攻撃的な石川が防戦一方でブロックに徹する場面が何度も見られた。
解説の宮崎氏も言っていたように平野の卓球の質は昨日に限って言えば石川を明らかに上回っていた。


かつて、2000年代の日本のエースは平野早矢香だった。
国際大会では愛ちゃんの強さが際立っていたが、国内では平野が無双していた。
全日本卓球での強さは格別のものがあった。

「エース平野」

平野美宇の登場により、またもやこの言葉が紙面を躍ることになるのだろうか。

世界で一番卓球が強いのは中国かもしれない。
でも、日本の卓球界は世界で一番面白いと自信を持って言える。

そんな日本女子卓球界をエースとして引っ張っていく平野美宇が見たい。